プロが使う「本格的な」企業価値評価手法
前のセクションでは配当を使って株式の理論価値を求めるDDMを学びました。しかし、配当を出さない企業や、利益の大半を成長投資に回す企業はどう評価すればよいのでしょうか? そこで登場するのがDCF法(ディスカウンテッド・キャッシュフロー法)です。投資銀行、M&Aアドバイザー、機関投資家が企業価値を算出する際に必ずと言ってよいほど使う手法です。仕組みは複雑に見えますが、根底にあるアイデアはシンプルです。「企業の価値 = 将来生み出すキャッシュの現在価値の合計」です。
FCF(フリーキャッシュフロー)— 企業が自由に使えるお金
FCF(Free Cash Flow / フリーキャッシュフロー)
企業が事業活動から生み出した現金のうち、事業の維持・拡大に必要な設備投資を差し引いた残りの金額です。株主への配当、借入の返済、新規投資など、企業が自由に使途を決められるお金を指します。
FCFの計算式
FCF = 営業キャッシュフロー − 設備投資(資本的支出)
なぜ純利益ではなくFCFを使うのでしょうか? 純利益は会計上の数字であり、減価償却費の計上方法や引当金の設定次第で大きく変動します。一方、FCFは実際に企業の手元に残るキャッシュを示すため、経営の実態をより正確に反映します。
純利益
- 会計上の「利益」の概念
- 減価償却や引当金で調整される
- 黒字でもキャッシュが足りないことがある
- 会計方針の変更で変動しやすい
FCF
- 実際の「現金の動き」を捉える
- 設備投資後に残る自由なお金
- 配当・借入返済の原資になる
- 操作が難しく、実態に近い
G社は純利益50億円でしたが、大型工場の建設に80億円の設備投資を行い、営業キャッシュフローは90億円でした。
G社のFCFは90億円 − 80億円 = 10億円です。純利益は50億円ですが、実際に自由に使えるお金はわずか10億円しかありません。このような企業は「利益は出ているが、成長投資にキャッシュを大量に使っている」状態です。DCF法ではこの「実際に手元に残るお金」をベースに企業価値を計算するため、純利益ベースの評価とは異なる結論になることがあります。
WACC — 割引率をどう決めるか
WACC(Weighted Average Cost of Capital / 加重平均資本コスト)
企業が株主と債権者の両方から調達した資金に対して支払うべきコスト(リターン)の加重平均値です。DCF法において将来キャッシュフローを現在価値に割り引く際の「割引率」として使用されます。
WACCの計算式
WACC = 株主資本比率 × 株主資本コスト + 負債比率 × 負債コスト × (1 − 税率)
WACCの計算は専門的ですが、コンセプトは理解しておきましょう。企業は株主からの出資(エクイティ)と銀行借入などの負債(デット)で資金を調達しています。株主はリスクを負うため高いリターンを求め、銀行は優先的に返済を受けるため低い金利で済みます。WACCはこの両方のコストを資本構成に応じて加重平均したものです。
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株主資本コスト(Ke)を算出する: CAPM(資本資産価格モデル)を使い、Ke = リスクフリーレート + ベータ × 市場リスクプレミアム で計算する。日本では10年国債利回りをリスクフリーレートに使うことが多い
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負債コスト(Kd)を算出する: 企業の借入金利や社債利回りを使用する。税金の節税効果を考慮し、Kd × (1 − 税率) で税引後コストにする
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WACCの式に代入する: WACC = E/(E+D) × Ke + D/(E+D) × Kd × (1−T)
日本企業のWACCは一般的に5%〜10%の範囲に収まることが多いです。WACCが低い企業ほど将来キャッシュフローの現在価値が高く評価され、結果として企業価値が高くなります。財務的に健全で、事業リスクが低い企業はWACCが低くなる傾向があります。
DCF法の実践 — 企業価値を算出する
DCF法の全体像をまとめましょう。将来のFCFを予測し、WACCで割り引いて現在価値を求め、すべてを合計することで企業価値を算出します。通常は予測期間(5〜10年)のFCFと、それ以降の永続価値(ターミナルバリュー)に分けて計算します。
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将来5〜10年間のFCFを予測する(売上成長率、利益率、設備投資計画などから推計)
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各年のFCFをWACCで割り引いて現在価値を求める: PV = FCF ÷ (1 + WACC)^年数
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ターミナルバリュー(永続価値)を計算する: TV = 最終年FCF × (1 + 永続成長率) ÷ (WACC − 永続成長率)
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すべてのPV + ターミナルバリューのPV = 企業価値(EV)
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企業価値から純有利子負債を引くと株主価値。発行済株式数で割ると1株あたり理論株価
図5.3: DCF法による企業価値算出イメージ(各年のFCF現在価値とターミナルバリュー) H社の今後5年間のFCF予測が年間100億円(簡略化のため毎年同額とします)。WACCが8%、5年目以降の永続成長率が1%と仮定します。
5年間のFCF現在価値の合計 = 100÷1.08 + 100÷1.08^2 + ... + 100÷1.08^5 ≒ 399億円。ターミナルバリュー = 100×1.01 ÷ (0.08−0.01) = 1,443億円。これを現在価値に割り引くと 1,443÷1.08^5 ≒ 982億円。企業価値 = 399 + 982 = 約1,381億円です。この例ではターミナルバリューが全体の約71%を占めており、永続成長率の仮定がいかに結果に大きく影響するかがわかります。
感応度分析 — 前提条件を揺さぶる
DCF法は前提条件(WACC、成長率、FCF予測)に結果が大きく左右されます。そのため、プロのアナリストは必ず「感応度分析(センシティビティ分析)」を行います。WACCを±1%、成長率を±0.5%変えた場合に理論株価がどう変動するかを一覧表にし、「この範囲内に理論株価があるだろう」というレンジで判断するのが実務的なアプローチです。
- DCF法は「企業の価値 = 将来のFCFの現在価値の合計」という考え方
- FCFは純利益よりも実態に近いキャッシュベースの指標
- WACCは株主コストと負債コストの加重平均で、割引率として使用する
- ターミナルバリューが企業価値の大部分を占めるため、永続成長率の仮定が極めて重要
- 前提条件で結果が大きく変わるため、感応度分析でレンジを把握することが実務の鉄則
DCF法においてフリーキャッシュフロー(FCF)を使う最大の理由は何ですか?
ある企業のWACCが7%、最終年のFCFが50億円、永続成長率が2%の場合、ターミナルバリューはいくらですか?
DCF法でWACCを7%から9%に引き上げた場合、企業価値はどう変化しますか?